埼玉と會津
昔、大和朝廷は全国平定の為4人の将軍を派遣した。古事記にみる四道将軍である。
北陸道から越後に入った将軍オオヒコと、東海道を辿ったタケヌナカワワケが偶然に越後と会津の国境、御神楽岳の山頂でお逢いになった。当時の会津は大き な沼であり船の無い時代に水辺を辿れば当然の話。 会った津、津は水辺の意味であり、會の地名発祥の由来である。兵を幾らか残して北進したのだが、残され た兵こそが會津人の先祖。
兵は沼の水の干上がるにしたがい、山頂に祭られた祭神と共に現在の地に到るまで1300年余。伊佐須美神社は會津総鎮守、イザナギ、イザナミ。オオヒコ、タケヌナカワワケの4柱を祀っている。
永くオオヒコ、タケヌナは伝説の人物と思われていたのだが埼玉古墳群からオオヒコの名が刻まれた鉄剣が発掘された。この地に居たオオヒコと兵、すなわち埼玉県人と會津はDNAを同じくするのである。
會津野茂三郎がこの地で蕎麦屋を営むのも何かの縁。いやいや単に寒さが嫌で老後は暖かいところでと思い逃げてきただけなんです。
會津の観光や、伊佐須美神社に行く話があったらお声掛け下さい。茂三郎は神社の総代なんです。特別参拝の手はずを整えますから。