饅頭の天婦羅
饅頭の天婦羅
今日(18.5.10)あるTV番組で、會津の郷土食である饅頭の天婦羅が紹介されるらしい。が、多分真説とは異なった意味で放送されると思うので、本当の話を少し先に紹介したい。
昔、會津での冠婚葬祭は自宅で行われてきた。当然、近所の手伝いにより執り行われ、葬儀の場合、男は6尺(土葬の穴掘り)あるいは親戚知人等へのお知らせ役。女性は賄い作りのお手伝いと役目が決まっていた。
料理一切は頼まれた料理人の指揮により近所の母ちゃんによって作られ、それはそれは大忙しの数日を過ごすこととなる。
一方、野辺送りの際、見送りに訪れた方々に饅頭を配る風習があった。当時、甘いものに飢えていた子ども達にとっては千載一遇のチャンス。多少遠くても張り切って饅頭目掛けて集まったものだった。
さて、調理が一段落した母ちゃん達の休息なのだが、茶はあるもののお茶うけは無い 数段重ねの饅頭の上段は固くなっていてお客さんには配れないとの理屈付けだが、無論出来たての饅頭が早々固くなるわけはないがお手伝いが揚げるにはちと具合が悪い、よって料理人が自ら天婦羅に揚げ、手伝いの労に報いたのが饅頭の天婦羅となる次第。
要は、かけそばに饅頭を入れたり、普通の天婦羅のように醤油を付けて食するようなものでは無いという事だ。
茂三郎爺は店の持たない料理人でもあった。